スペインにサグラダ・ファミリアという教会がある。ガウディの未完の建築物である。1980年台当時、完成までには300年かかると言われていて、実際に今でも建築中である。この「未完であること」「進行中であること」「進行中であること自体に価値があること」「いつ完成するかわからないこと」「新しく追加されるものと同時に既存の補修が行われ続けていること」など、試行錯誤を伴う「ing」がまさにハワイオフィスの運営そのものであり、それを体現するという意味もこめて、継ぎはぎ的に、また、遡及的に加筆修正を行い、期限を設けず、自分自身のやチームの「ing」を記録していこうと思う。

 

執筆するに際しては、オフィスのマネージャーとしての視線をメインとする。例えば、経営者はより大きな方向性やビジョンを示す役割があり、一方で、マネージャーとしては、じゃあ具体的にどうやってそのビジョンや目的を達成していくのかというところまで落とし込んで説明・リードしていく必要がある。

 

給料が低い!残業が多い!これがない!あれがない!そういったことに対して1つ1つ丁寧に背景や意図を説明し、ネガティブな感情、過ち、欠陥、それらすべてを含めて大きなゴールに向かう「ing」であり、そのingを楽しんでもらえるようにすることがマネージャーの役割だと思う。ただ、何でもかんでもingで片づけられるわけではなく、そこには「ブレない信念」と「過ちや至らなさを認める」ことが絶対に必要で、それがなければ、その場その場をしのぐだけで、だんだん腐っていくだけである。「ing」は「より良く」なっていくことであり、腐るとは真逆の状態である。たまっていては腐るし、正義や大義がなければ腐るし、モチベーションがなければ腐る。そうならないように、つまり、常に「ing」の状態を保てるように、もっと言えば、勝手に「ing」の状態が続くようにしていくことがマネージャーの役割だと思う。

 

ハワイオフィスのモットーは「学園祭の実行委員のように、ああだこうだ言いながら、試行錯誤をしながら、色々なものを、みんなで創り上げていく」こと。端的に言えば「青春を謳歌する」こと。そして、内から湧き上がる活力を外に向けていき、それをいいサービスに繋げていく。社内が盛り上がっていないのにいいサービスなんてできるわけがない。そのためにも、会社はスタッフをみて、スタッフはお客様を見る。「顧客満足!」なんて言っている会社を見聞きするが、そんなことはスタッフが考えること・言うことであって、というか、社内が盛り上がっていれば自然とそういう流れになっていくことであって、会社はひたすら「どうやったらスタッフが長く楽しく仕事をしていけるか」を考える必要があり、それを実現させるのがマネージャーの仕事だと思っている。会社には会社のの考え方があって、スタッフにはスタッフの考え方がる。その間に入って、理想と現実をバランスさせながら、現実を理想に近づけていく役割があると考えている。

 

「長く楽しく仕事をしていく」と書くと、何の特徴もないありふれた印象しか残らないけど、これが一番難しい。刹那的に楽しく仕事をするとか、楽しくないけど長く仕事をするということは簡単かもしれない。でも、長く楽しく仕事をするためには多くのことをクリアーする必要がある。安定した給与、成長、やりがい、尊敬できるスタッフ、充実、融通がきく、誇りなど。これらを共存させることが非常に難しい。難しいけど、すべてが繫がっているから、すべてに対応していく必要がある。高い給与が欲しい→そのためには生産性を上げる必要がある→生産性が低い人はカットする→でも、安定が欲しい→生産性が低くてもカットしない→生産性が下がる→給与を高くできない→でも、昇給してほしい・・・。これは一例で、あっちを立てればこっちが立たずという状態になるのは当然であり、そのために取捨選択が必要となる。アメリカは生産性が高い、給料が高いと言われるが、それは、ダメならカットする、必要以上のサービスは提供しない、値段設定を高くするといった背景があるからであって、表面的にはそれで豊かになってきているようにも見えるし、実際、これからも一部の層の人達はそうあり続けると思われるが、だんだんとその弊害が積み重なってきているように思う。そんな中、ハワイオフィスは、いいとこどりをしようとしている。例えば、給与は高く、でも、カットはしない。さらに言えば、給与は高く、カットはせず、自由で、楽しく、適正な労働時間で。仕事がめちゃくちゃできる天才の集まりではない。ごく普通のスタッフが集まったチームで、それを目指そうとしている。だから、明日とか明後日とかに実現できることではないし、日々スムースにゴールに向かっていくということでもない。その過程において、給与が高くない、労働時間が短くない、あれがない、これがないという声が上がることはある程度仕方ないと思っている。会社とスタッフの時間軸は違う。会社はスタッフの消耗によって築かれたレガシーを重ねていくことでゴールに近づいていくが、スタッフはレガシーを残すために仕事をしているわけではない。会社としてはそこをしっかり認識しないといけない。しかし、全員が全員そういうわけではない。サグラダ・ファミリアの建築に携わるかのように、誇りをもってingを楽しんでいる人もいる。ハワイオフィスのみんなには、サグラダ・ファミリアの建築のど真ん中に携わる人として、ingを見に来た観光客から注目をされる人として、いつか「これは俺が作ったんだ!」と自慢できるような、そんな感じで仕事をしてもらえれば最高じゃないかと思っている。それは会社のために働くということではなく、自分の人生において本物のレガシーを作るということ。だから、ingの状態に不満を漏らすのは、自分の作品の不満を言っているようなものなので、そうではなく、ingを自分の作品として考えられればいいんじゃないかなと思う。もちろん、会社はそれに対して傲慢であってはいけない。スタッフがingを自分の作品として考えられるように、そんな環境作りに努めなければいけない。繰り返しになるが、会社はスタッフの消耗によって築かれたレガシーを重ねていくことでゴールに近づいていくが、スタッフはレガシーを残すために仕事をしているわけではない。会社は常に働いてくれているスタッフに感謝しなきゃいけない。一方で、スタッフも働く機会をもらっていることに感謝しなきゃいけない。本当にシンプルなことなんだけど、それが難しい。

 

「楽しく」ということに重点を置いているが、それは「青春」という言葉に集約される。みんなでああだこうだ言いながら、試行錯誤をして何かを創り上げていく。いわゆるレベルの高い人が瞬間的に力を合わせて「やる時はやる」的な意識高い系の楽しさでもなく、単にダラダラとお喋りをする楽しさでもない。昭和という表現が正しいかどうかわからないけど、泥臭くて効率の悪い、今時の言い方をするのであれば熱量ドリブン。あんな時もあったねと自虐的に振り返ることができるような時間の過ごし方。なぜそこに固執するかというと、チームとしての強烈なつながりを築くため。失敗して、言い合って、泣いて、笑って、酒飲んで、そんな泥臭くて効率の悪い時間を過ごすことで、人間として大切なものを共有することができ、それが信頼につながる。能力の高さに対するリスペクトでつながるチームよりも、非効率さの中で育まれた人としての信頼でつながるチームのほうが強い。そして、強いチームは生産性も高くなる。青春とは非効率の集大成だと思っている。

 

リモートワークは認めていない。稼ぐためだけ、キャリアアップのためだけ、会計税務以外は関心がない、そういう人は最初からお断りする。もちろん、稼ぐことも大切だし、キャリアアップも大切。でもTMでは、それ以上に青春を求めている。リモートワークでは青春は生まれない。常時接続をしていれば、解決できそうな気もするけど、やっぱり違う。理論武装すれば、リモートでも変わらないということを言えるかもしれないけど、そういうことではない。リモートを認めない理由は、ボールを落とす、落としたボールを拾うということがしにくくなるから。そして、チームへの貢献がしにくくなるから。青春を価値観としていること、チームへの貢献を自覚できる人、そういう人であればなんでもOK。ようは、認めないんじゃなくて、資格がないということ。チームのため、会社のためという時代ではないという考え方もあるかもしれない。それはそれでいいと思う。ただ、これからは、本当に優秀か超好きでなければ社会でやっていけなくなると思っていて、今までのように、とりあえずできるというだけで通用する時代は終わった。じゃあ普通の人はどうすればいいかと言うと、チームとして1つの強烈な個になればいい。チームのためというと自己犠牲を強いられるようなイメージがあるけど、そういう社畜的なものでなく、自分でチームを創っていく感じ。言ってしまえば経営者のような感じ。なんというか、チーム創りも仕事の一部みたいな、だから自己犠牲ではなく、SMAPをつくる感じ。自己犠牲って、一方的に何かのためになるというイメージだけど、そうではなく、自分の家を作る感じ。だから、そもそもこういう青春みたいなことに関心がない人は雇用しないし、そのために、求人広告やインタビューで詳しく説明している。

 

すべては採用。採用に全力を尽くして、らしさを全力で投下する。それでも、入社後には想定外のことが起こるけれど、それは仕方ない。とにかく全部さらけ出して、考え方もしっかり伝えて、それでも良ければ入社してもらう。スタートの給料はかなり低い。経験者であれば別だが、そうでなければ一律で低い。学歴や年齢や職歴や資格などで差をつけたくないから。茶室の入口のように狭くして、すべての人が平等な状態からのスタートにするためにそうしている。もう2つ理由があって、低いのは、実力を発揮してくれたら必ず昇級させるという考えがあるから。だから、実力があるならほんの数ヶ月だけ低いだけですよということ。それを信じられない人は残念ながらうちのチームには向いていない。もちろん大手企業ではないから、いきなり数千万円というわけにはいかないけど、1年目だから...とか、そういうものはない。だから、実力がある人は安心して欲しいという以外にない。逆に言うと、実力がない人は低いままだからそのつもりで入ってきて欲しい。時間と共に実力はつくし、実力がつけば給与も上がるけど、それまでは低い。実力がないのに、普通の給与をもらおうと考えること自体がおかしい。実力と書いたけれど、実際には貢献。正確に言えば貢献して欲しいところでの貢献。同じところで複数名が貢献しても意味がない。求める貢献は、個々人の成長段階やチームの状況などによって都度変わる。できるだけ強みを生かした貢献が望ましいが、そんなに簡単なことではない。強みというのは好きなことであり、最初から好きなことだけで給与をもらえるだけの貢献は難しい。ただ、最終的には好きより強いものはないので、それで貢献できるような状況にもっていきたい。好きなことだけではダメだし、好きもないとモチベーションが続かない。また、いくら好きでもお金が伴わないとダメだし、お金が伴えば好きでなくてもある程度はいける。給与、貢献、強み、状況、やる気などのバランスを考えながら仕事をアサインしていく必要がある。

 

うちのチームはとても自由で、何でもできてしまう。行動も発言も思考も。不平不満も言えてしまう。自分のペースで仕事ができてしまう。自分の都合のいいように考えられてしまう。だから、自分のありかたをコントロールしないと信用を失う。

 

自由なチームにおいて一番大事なのは信用。信用がないと、特に自由なチームでは疑心暗鬼になる。自由には死角がたくさんある。見えない部分がたくさんある。だからこそ信頼が必要であり、それが欠けてしまうと、すべてが負のスパイラルに陥る。信用は日々の何気ない行動や発言の積み重ねで育まれる。仕事なので、あまりにも仕事ができないと、人格的な信用だけでは通用しない部分もある。逆に、いくら仕事ができても信用がなければそれもダメ。信頼の物差しは、チームによっても違うかもしれない。というか、こういう信頼を求めるというチームごとの特徴。例えばハワイチームでは、ガムシャラさを信用の物差しにしている。

 

ガムシャラさとワークスマートは相反するかもしれないけど、ワークスマートは大切。ガムシャラさというのは気持ちの強さや誠実さやポジティブ思考や突破力や責任感や言い訳をしないといったメンタル的なことであって、夜遅くまでやるとか、そういうことではない。一方でワークスマートは、論理的思考や賢さ。長時間労働による売上増は、ガムシャラさの現れでもあると言えるので否定はしない。しかし、長く楽しく仕事をしていくためのは、やはりワークスマートでないといけない。ただ、ガムシャラさを前提にしたワークスマート。これも組織によって見解は異なるだろう。

 

青春と掲げているだけあって、採用の際にもガムシャラさは重要視している。

 

一方、マネジメントとしては、ガムシャラさに頼ってはいけない。ガムシャラさはマネジメントにとって頼もしく都合がいい。ただ、円安に頼っている利益体質の日本企業のように、そういうものに頼らない体質を作っていかないといけない。頼ってはいけないということではなく、なるべくということ。

 

ガムシャラさはスタッフ間の溝になる。頑張っちゃってると言う人と頑張ってる人の溝。この溝を埋めるのは非常に難しい。だから、最初からチームの価値観を明言する必要がある。

 

チームのバリューはしつこく説明する。ここでのポイントはお飾りではいけないということ、格好はどうでもいいから説得力がある気持ちのこもった自分の言葉である必要がある、そして、だんだん精度を上げていく。

 

チームのバリューはトップの独断でいい。チームとしての正解を提示しないといけない。他のチームでも正解かどうかということはどうでもいい。とにかく我がチームの正解を明示する。

 

精度を高めていく過程で「青春」に行き着いた。10年後、20年後振り返った時に、あの時ああだったよねこうだったよねと、お酒を飲みながら懐かしめるような青春。自宅のパソコンで9時5時で終わりというスタイルは少なくとも青春ではない。理屈をこねればいくらでもなんとでも言えるけど、一般的な青春は、みんなで、時間も忘れて、情熱的で、笑いや涙があって、失敗も成功もあって、無駄道、非効率、そういうこと。それを大の大人でやろうってこと。

 

そういうことを、求人サイトに明記する。こういう部分が「全力でらしさを出す」の一環。

 

給与に関して色々な測定方法が存在するようだけど、完璧なものはあり得ないと思っていて、そうすると最終的には評価する側の信頼に行き着く。例えば売上がいいというのも、何がどう関係してそうなっているのかわからない。単に実力だけでは測れないチームの事情であったり、何かの犠牲を伴っているかもしれないし。全てを見ているわけでも見れるわけでもない。さらに、それを正確に数値化できるものでもない。だとすれば、評価する人間に一任するのみ。そしてその人は信頼されていないといけない。さらに、重視することをしっかり伝えて、それと違わないことが大事。重視するポイントが変わることは問題ない。チームの事情であったり、スタッフの成長の段階であったり。ただ「違う」のはダメ。チームプレイを重視しますと言っておきながら、売上に重きを置いて評価してしまうなど。それなら最初からチームプレイさえしていれば何でもいいということではない、ということを明確に伝える必要がある。

 

これはコアバリューにも言えて、コアバリューと言っておきながら、それに反した行動や言動をしても、戦力だから。。。と目を瞑ってしまう。そういうところをスタッフは見ている。

 

チームプレイというのはスタッフにとっては怖いものであって、それをしっかり見て、そして正当に評価してくれればいいけど、そういう信頼がないと、自身のパフォーマンスに特化した方が魅せやすい。また、チームプレイと言えども、全員同じ給与というわけではないから、不公平感があってはいけない。つまり、誰かが一生懸命やっていて、誰かがサボるという状況はダメ。ただ、一生懸命な人の一生懸命の基準と、普通の人の一生懸命の基準が違うように、こういうのも、何が正解か何が基準かということを明確にしないといけない。

 

一生懸命は長時間労働にも繋がる。こういう話になると割と極端になる。ベースとして、仕事がよくできて、全力で会社事をした人だけが5時に帰れる。仕事もできないのに、仕事中に散々サボってるのに、ブラックだとかなんだとか言う資格はない。そういう人が5時に帰ってしまうことに対して一生懸命な人が「熱くない」というのは理解できる。ただ、仕事ができて、全力で会社事をやってる人に「熱くない」と言ってはいけない。それはそれ、これはこれと割り切ってる感が「熱くない」という感情に繋がってしまう気持ちはわかる。でも、それは昭和過ぎるし、昭和のよさはあるけど、人材確保が続かない。だから、言いたいことは、実力がないなら、つべこべ言わずとにかく全力でやりなさいということ。

 

それはリモートワークも同じ。家の方が集中できるからと言うけど、集中できる時間をわざわざ確保しなければいけないのは、普段からめちゃ忙しくて作業をする暇がない人が言うこと。「楽」のためのリモートワークはダメ。一方で、会社としては通勤を強要する理由を明確にする必要がある。何でもそうだけど、惰性でやるのが一番ダメ。3日、4日多く休んだってどうってことない、というか、その方がしっかり休養も取れて英気も養われるのに、単純に1日だけカレンダー通りに休むとか。

 

勉強会について話したいと思う。何でもそうだけど、できる人の心理で進めてはいけない。できる人はできるから、そのできるということを表現できる機会が多ければ多いほど嬉しい。だから成績発表とか、発言の場が成長に繋がりとか考える。でも、できない人が勉強会の最中に考えることは「ふられる恐怖」で、その恐怖が故に講義に集中できなかったりする。実力ある人は勉強会などいらない。自力で成長できるからチャレンジの材料さえ与えておけばいい。では勉強会は誰のためかと言えば、実力がない人。ならば、どうやったら実力がない人の実力を向上させられるかを心理の面から落とし込んで考えていかなければいけない。それをしないのであれば、実力がある人だけを採用するしかない。

 

人は今できていないことにフォーカスする。それが事実であり、最新の状態であるから、それをどうにか改善したいということであれば提案をしてもいい。ただ、提案ではなく、不満であるなら、不満を言われる側に立って考えないといけない。たしかにできていないという事実があるけど、できたものやできつつあるものもある。そういうことを考慮する。本質的な不満と独立した問題をつなげることに終始してはいけない。それを提案につなげるか、提案につなげないなら不満を言っちゃいけない。一方で、言われる側は、火のないところに煙は立たないわけなので、謙虚に聞く。そして、説明が必要なのであればしっかり説明する。

 

管理の基本はコミュニケーション。点と点をつないで本質をとらえる。何をどこまでするのかは立場によっても違う。真のリーダーは、指針を示すだけで、細かいことを気にする必要はない。真価は細部に宿る。会話、メール、話し方、聞き方、それらすべてに、一瞬かもしれないけど真実が露になることがある。

 

管理と書いたが、基本は自由。自走と言った方がいいかもしれない。ただ、自走というのは、チームのことを考えて最善の選択をするということも含まれる。チームとして目指すのはSMAP。それぞれが、それぞれの方面で活躍し、それぞれが熱狂的ファンを抱え、そんなメンバーが一堂に会する時には、チームとしての魅力で人を集めることができる。そんなチームであって欲しい。だから、どこで誰が何をやっても構わない。ただ、それだけの実力と信頼があること。だから、そのレベルにない人は例えばリモートワークなんてできない。しかし、逆に、そういうレベルの人はオフィスに来ようとする。それは、自分の存在意義を理解していても現場から離れることでの影響を心配しているから。そういう人がそれぞれの道で活動が許される。

 

お客様に対してどうするかという点については、社内が盛り上がっていれば、自然といいサービスが出来上がる。ツールで補えるようなことは、誰かがいつかは改善を試みる。しかし、本質的にチームとしてのアリカタを体現できない人は、やはり、そもそも採用すべきではないし、採用したからには、そこをひたすら求めていく。

 

ユダヤ系腕のいい正義の町医者というアリカタを提唱している。ユダヤ系には「賢くお金儲けをする」という意味が込められている。これは、その後の腕のいい正義の町医者とセットであり、腕のいい正義の町医者に徹するためにも必要なものである。そのため、先に腕のいい正義の町医者を説明する。腕がいいというのは、知識・技術に長けていることはもちろん、引き出しが多く、適時適切な引き出しを開けることができるということ。喧嘩をしかたについてめちゃくちゃ詳しくても、突然目を突かれたどうするか。それはそういう場面を多く体験してきた人でないと対応できない。つまり、ストリートファイトに長けているということ。少し熱があるといって病院に来た人に対して、血液検査しましょう、MRIをとりましょう、細胞をとって病理検査をしましょう、この抗生物質を飲みましょう、明日も、明後日も診察に来てくださいというのはどうだろう。そこまですればたしかに確実かもしれない。でも、症状やそのリスク、そして費用などを鑑みた場合、熱いお湯を飲んでたくさん汗かいて1日ゆくりして、2日経っても熱が下がらないようであればまた来てくださいみたいな感じで、経験と知識に基づいて適当な診療ができることを腕のよさと定義している。だから、もちろん大手術が必要な時は大手術をするわけだが、すべてのお医者さんがゴッドハンドを持ち、高度な先端医療を提供できるわけではないのと同じで、会計士もすべてをカバーできるわけではなく、極めて高度な知識を要するタスクがあれば、専門性の高い会計士に委ねる必要もある。これは当然のことで、大学病院と町の医者では、役割も違うし、その役割のためにとるべき行動や日頃の準備や考え方や重視することや追求するべきことが違う。同じ野球選手でも、パワーのある人はホームランを量産できるように、そこを目指して練習するわけだけど、パワーがない人が、野球選手はホームランを打つべきとか、周りがホームランをたくさん打つからとか、そういう理由だけで強振する練習ばかりやっているのは如何なものか。ヒットメーカーになったほうがいいはずなのに、それがこわい。ただ、ホームラン10本、打率220のバッターと、ホームラン1本、打率330のバッターとではどちらが価値があるかということ。ホームラン10本も打てればまだいい。

 

正義とは、正義の味方という意味である。弱いものを助け、悪いものと戦う。正確に言えば、本当に困っている人には、損得抜きで優しく、権力を含め、大きいものを振りかざしてくる人をVIP扱いすることはなく、畏れることもなく、極めて普通に対応する。これをするためには、2つの要素が必要で、1つは金銭的な余裕、もう1つは高い知識や技術や経験である。金銭的な余裕がなければ、やはり儲けることを優先せざるを得ないから、心から損得抜きで対応することができなくなってしまう。そのために、ユダヤ系である必要があり、儲けられるところで賢く儲け、本当に困っている人に対して損得抜きで対応できるよう経済的・心理的余裕をもっておく必要がある。そして、高い知識や技術や経験がなければ、高い知識や技術や経験でマウントをとってくる人に対抗できない。健全な関係性(対等)において仕事はなされるべきであるが、自信がなければ、健全な関係性は崩れて、健全な要求や健全な提案ができなくなり、健全に力を発揮することができなくなり(萎縮してしまって、びびってしまって、本来の力が発揮できなくなる)、健全な気持ちが崩れてしまう。対等と書いたが、本当に健全な関係性は、実社会においては、大が小に合わせることだと思っている。つまり、大が小の気持ちを理解して、謙虚に優しく目線を合わせること。だから、大になれるよう努力は続けなければならず、また、大になるべき人が大になるべきである。

 

町医者という言葉には、相談しやすい、何でも話しやすいという意味が込められている。会計士はあくまでもサービス業である。先生と話しているだけで調子が良くなってしまうというような、町医者のあるあるのような、そんな会計士でいれたらいいと思っている。会話を大切にして、話し終わった後にお客様が活力に満ち溢れるような。悩み事相談でも何でもいい。コミュニケーションは双方にとって得がある。1時間でも2時間でも無駄話したらいい。無駄ではないから。ただ、それをするためには、やはり、経済的な余裕が必要。だからユダヤ系でなくてはいけない。

 

最後にユダヤ系。賢く儲けるということについて、利益率の高い楽な仕事をとってくるというのもあるだろう。独自性のある仕事を創ることで上代をコントロールできるかもしれない。そして、社内の仕組みの改善やスキルアップを図ることで利益率をアップさせることも大事。ワークスマートを重視しているのには、こういう理由がある。とれる人からとるというのもあるかもしれないけど、それをやったらおしまい。

 

これだけ書くと素晴らしい印象しか残らないけど、相談しやすくする、正義の味方になるというのは、やらなくていい仕事、面倒で儲からない仕事、非効率な仕事が増えるということでもある。それを「成長の機会」「将来のネタ」とポジティブに割り切ることができればいいが、実際にはそう簡単ではない。物事は相対的で、例えば、自分が面倒で儲からない仕事をしている傍らで、効率がよく儲かる仕事をしている人がいれば、心が折れる。きれいごとはきれいごとだと。さらに、お客様との距離が近くなると、関係性が深まる一方、何かを断ったり、厳しいことを言ったりすることが難しくなる。メールや電話だけの関係であれば、ある程度クールに対応できるが、いつも顔を合わせているとそうもいかなくなる。安くしてあげたり、引き受けてしまってり、見逃してあげてしまったり、待ってあげたり・・・。好意でもあり、弱さでもあり、人間だから仕方のない部分でもある。ただ、これらの微妙なさじ加減によって関係性が保たれたり、何かあった時にその関係性が功を奏したり、一方で、その関係性があるがために、非効率が生まれたり、リスクや損害を負ってしまったり。セルフサービスと言っても、フォローしてあげてしまう。見て見ぬふりをすることはできない。とことんクールに行けば、どんなに楽だろうと思う時もあるけど、ハワイオフィスはそういう価値観ではない。繰り返すが、価値観に正解はない。あくまでもハワイオフィスの正解に過ぎない。だからこそ、クールでなくホットにできるように、なるべく、ツールや仕組みで非効率さを補える部分は補う。ホットはクールに比べてどうしても非効率になるから、ホットになるべきところでホットになれるように、ホットでなくていい部分は徹底的にクールでいけるようにする。あとは心の持ちよう。関係性のさじ加減にインパクトを与える好意と弱さに関しては、経験、実力、ポジション、そしてそれらに付随する自信によって、弱さが変わる。そして、好意の質も、そもそもの人間性もあるけど、弱さの成長で高まると考えられる。

 

スタッフが長く楽しく仕事をするためには「安心」が必要である。安心が慢心、緩慢につながると考える人もいるかもしれないけど、安心は許容につながり長期視点につながる。長期視点があれば、ちゃんと準備ができる。段階を踏める。時間的・肉体的に適切な投資ができる。投資ということは、リターンが後から得られるということである。しかし、安心がないと、リターンをすぐに求めるから投資ができない。リターンをすぐに求めるような人が集まるチームはハワイオフィスの目指すところではない。ただ、安心がなければ、ガツガツせざるを得ないし、利他を考える余裕がない。遠回りが近道と言われても、それが腹落ちすることはない。そんな中で、安心を得ている人がいると際立つ。安心がない人と逆の行動をとれるから、評価も結果もよくなるという好循環が生まれる。安心というのは、やはり経済的なところが大きい。そこまで稼ぐ必要がない、財産があったり親が裕福であったり、将来に不安がないという状況。また、ものすごく実力がある人は、いつでもどこでも稼ぐことができるという自信があるから不安がない。ただ、割合的に、安心がない人の方が多い。だから、安心を提供することが強いチームを作る上で重要。では、どうしたら安心が生まれるかと言えば、安心してと言い聞かせること。一生懸命やっていれば見捨てないという姿勢を見せること。物事が日々よくなっていっていることを実感できること。仕事や給与が維持されるということ。そのためには努力をしなければいけないけど、必要な努力をしていけば安心が保たれる正しい方向に会社が進んでいるということを納得可能な形で示すこと。

 

人は誰でも長所と短所をもっていて、それぞれに違った価値観をもっていて、言ってしまえば、何もかも違う人達が集っているのがチームなわけだけど、ハワイオフィスとして絶対視している部分は以下の通り。

 

一生懸命に賢く:一生懸命は誠実さや責任感の現れであり、賢くはユダヤ系になるために必要な大切な要素であり、ユダヤ系でなければいけない理由は上述の通り。

青春:チームプレイ。チームが好き。試行錯誤を楽しむ。

積極的:自分事。リードしていく。関わっていく。

常に穏やか:相手を気遣う。依頼しやすい。相手にスペースを与える。

 

そして、これらを日々重ねて継続していくことで信頼を得ることができる。

 

逆に言えば、そうでない人は絶対ダメということ。絶対ダメというのは、シンプルに言えば辞めてもらうということ。改善を試みない、試みる気がない人には辞めてもらうということ。ただ「気」がある人は見捨てないということ。同時に、信頼がない人を仕事はできないという姿勢を明確にすることが言動一致が会社の信頼を得る。

 

小さい会社は小さい会社であることを認識してDIYを楽しむ。ないなら自分で作る。以上。ないことをああだこうだ言ってもしかたがない。それなら、ある会社に入ればいいだけ。ただ、会社はDIYを楽しむということに委ねてはいけない。言い訳にしてはいけない。わざとDIYにしてるんだみたいな姿勢でいてはいけない。本当は高級住宅を用意できればいいんだけど、DIYですまないね。なるべく高級住宅にできるように頑張るので、足りないところがあったらすいませんがDIYで補修してね、みたいな。で、スタッフは、そういう会社の気持ちを汲んで、OK!補修が必要な場所があったらDIYで補修していきます!みたいな、創り上げていく一翼を担うみたいなところに楽しみを感じてもらいたい。さらに、せっかくDIYを頑張って、住宅もできてきて、居心地のいい空間を味わって欲しい。ここは俺が補修したんだぜ、みたいな。それを味わう前に辞めてしまったらもったいない。

 

ワークスマートを具体的に言えば、例えば、お客様に3つ選択肢を出したら、どれがいいと思いますか?という返事がくる。そしたら、これがいいんじゃないですかねと返事をする必要がある。それに対して、3つ選択肢があるけど、これがいいんじゃないかなと思いますと言えば、じゃあそれでお願いしますとなる。これはほんの一例に過ぎないけど、コミュニケーションの仕方でやりとりの回数を減らせたり、少ないやりとりでも心地よくさせることもできるし、ネガティブな状況をポジティブに変えることもできる。お風呂に水を入れる時に、1回あたりの量を測りながら入れるよりも、風呂の大きさをはかっておいて、とにかく満タンにすれば何リットル入ったかがわかるというアプローチのほうが確実で効率がいい。4択問題で、1つの正解がわからなくても明らかに違う3つを選ぶというアプローチもできる。そういうこと。

 

マネジメントしていく上で大事なのでは説明。トップは細かい説明はいらない。繰り返しだけど、あくまでもマネージャーの役割として書いている。何かをする時に、何故こうするのか、そこに込められた意図や戦略をしっかり自分の言葉で説明です。そして、大事なのが、それに対してスタッフはこう思うだろうということを汲んで、それに対する答えをこちらから提示する。ひとり問答をするということ。何か質問ある?と言ってもなかなか聞きにくいこともある。その聞きにくいことを、あえてこちらから問答という形で提示すると、ちゃんとわかってくれているとか、その問答をきっかけに追加で質問をし易くなる。何かをする時に、音頭をとる人はもちろんポジティブだけど、フォローする人は完全な受け身であることを理解する。何かをやろう!と言ってもやらない。その時に、やらない理由がある。やらない理由をいちいち聞いて、やらない人に合わせる必要はないというのは大間違いで、やらないにも合理的な理由もあれば、そうでない場合もある。例えば「面倒くさい」という理由であっても、面倒をしてまでやるメリットや魅力を感じられないのであれば、シンプルにその企画の魅力が欠けているのかもしれない。もしくは、アクセスが悪いのかもしれない。もしくは、その人は何に対してもフォローしないのかもしれない。もしそうだとしたら、そういう時に、バリューとかを持ち出して、そもそもの話をする必要がある。質問や提案の前提となるレベルは、もちろん、マネジメントとスタッフでは異なる場合がある。その場合はしっかり説明する。ちなみに、聞いたら答える、または、具体的に動く、動かないのであればその理由を説明する責任がある。だから、機嫌取りや意味なくその場の流れで聞くことはしてはいけない。答えた方は期待する。マネジメントは1つ1つに対して説明をできなくてはいけないけど、一方、質問する側は、マネジメントを追い込んでしまってはいけない。やりたくても今はできないこと、言いたくても言えないこともあるだろう。質問の仕方や質問をする状況などをちゃんと考えて質問をする必要がある。

 

聞くことにもつながるが、何を基準にするかも重要。もっと言えば、会社は、すべてにおいて「らしさ」を追求するべきだと考えている。例えば、お客様にあたたかいサービスを提供すると言っておきながら、社内は、完全に個室になっていて、スタッフ同士の会話もないとか。あたたかいのであれば、すべてにあたたかくないとダメだと思う。それがカルチャー。何かをする時にどこを基準にするか。例えば、一番仕事ができる人を基準にするのか。一番できる人の思考や知識は学ぶべきだし、そこを目指すべきだけど、10のうち、6から始めるのか、2から始めるのか。6から始めるなら、つまり、6までは自力でなんとかしろなのか、そもそも6から始められる人以外は採用しないのか。2から始めるのであれば、2の思考や知識を理解でき、その人が何をすればいいのかを理解できる人が2から始める段取りをするべきである。10の人が、とりあえずみんなを6までもっていきたい、という志しをもって2から始める段取りをしたとしても、志と思考の理解は異なる。結局、志についてこれない人は・・・となってしまいかねない。それは、ある意味、6までは自力でと言っているのと同じである。

 

学園祭の実行委員のように、みんなでああだこうだ言いながら、試行錯誤をしながら、色々と創り上げていく、色々と企画をして実行していくことを理想としている。それは、ある意味非常に非効率なことであり、そんなことをしなくても、トップダウンですべて決定して、就業中は私語を慎み、本業だけに集中して、5時になったら帰宅するということももちろん可能である。1つ1つの仕事のレベル、必要な時間、請求額などを設定して、それらをどれだけやったかで給料を決めていく。できる人は稼ぐことができ、そうでない人は稼ぐことができない。その人の得意不得意は関係なく、ひたすら帳簿作成や申告書の作成を行う。そんな働き方も可能である。それは極端すぎるという声もあるかもしれないが、これくらい極端にしないと、必ずお金の話になる。これもあれもやれ。でも、本業は本業でやれ。でも残業代がつかない。そういう話になる。

 

やれと指示を受けたものは当然対価の対象となる。しかし、自分がやりたいこと、また、やるか否かの選択肢の中から「やる」を選択したもの(且つ、選択にプレッシャーがないもの)、これらについては、通常、対価の対象とはならない。しかし、自分がやりたいことややるか否かの選択が与えられているものというのは、最終的にその人のためになるものである。特に、後者については、その人の強みを生かせたりポテンシャルを引き出すのに都合のよいものであったりする。そうでなければ、やれという指示になる。大事なことは、そのうち、自分がやりたいこと、やるか否かの選択が与えられているもの、それらが、やって欲しいと頼まれる「仕事」になるということ。つまり、対価の対象になるということである。このことを理解することなく、最初から、これをやったらいくらと求めてくる人は、よほど自信があるか、貢献しているという自負があるか、そして、やれという指示しか得られないということを理解していない人ということになる。

 

ハワイオフィスは、自分がやりたいこと、やってみてはどうかな?というもの、そういうことを喜んでやる人を求めている。もちろん対価は得られない。正確に言えば、対価を得られると思ってやっているうちは、対価は得られない。物事を理詰めしていくことは悪いことではない。しかし、詰めたところで、じゃあどうするということ。野球の2軍で、居残って自主練をやる。だから、給料を増やしてくれ。これは理詰めでいけば、正当かもしれない。給料を払うか、居残り練習を禁止するか、そういう結果になるかもしれない。じゃあ、給料をあげよう、居残り練習を禁止しよう、で解決される問題かというとそうではない。まったく次元の違う問題で、本当に実力がある人はそれでいいかもしれない。だから、本当に実力がある人しかとらないというチームのスタンスが必要である。実力がなかったら切るというスタンスが必要。アメリカはそういう考えかもしれない。なぜなら、実力がない人はやはり練習が必要だし、でも練習をすれば給料を払わなければいけない。または、練習を禁止しなければいけない。逆に、居残り練習を無制限でやらせてもいいかというとそういうことではない。やり過ぎれば体が壊れてしまう。だから、短い時間で効果的な練習方法というものを編み出していかなくてはいけない。大事なことは、マネジメントとして具体的に改善をしていくこと。同時に、選手はがむしゃらであること。この双方向のベクトルがあるということ。どちらが欠けていてもよくない。例えば、がむしゃらさが欠けていると、例えば、選手同士で撮影しあって、悪いところチェックしたらどうだろう、話し合ってみたらどうだろう、サッカーの練習を取り入れてみたらどうだろう、小学生と野球をしてみたらどうだろう、そんな提案が、単純に選手の帰宅時間を遅らせる余計な負担ととられてしまう。一方で、マネジメントとしての改善意欲がなければ、単純に好きで練習をしてるんだからやらせておけというふうになる。厳しいようだが、実力もないのに、野球の2軍で、居残って自主練をやる。だから、給料を増やしてくれと言ってくる人をとるチームはないだろう。

 

期待をされていないと思うのが一番辛い。心が入っていないのもすぐわかる。スタッフは馬鹿じゃないから、真剣に成果を期待されてやらされているか、最初からやることに意味があるという程度でやらされるのではモチベーションが違う。

 

組織が強くなりためには、とにかく信頼で結ばれないといけない。そして、信頼というのは、一番大事にしている部分で共通の価値観がないとなかなか難しい。多様性と言われるけれど、聞こえはいいけど、似た者同士が集まった方がうまくいく場合もある。クリエイターは多様性が必要かもしれない。価値観というのは全てのドットを繋ぐ線のようなもので、これに対してこういう価値観を持っている人は、これに対してもある程度こういう価値観を持っている。だから、ここでは価値観が合うけどここでは合わないということはなく、根底の部分が合うか否か。ハワイオフィスの価値観は青春。青春は熱い。熱さは非効率。非効率に価値を見出だし、人生を豊かにする。そのために、効率的にするべきところは効率化する。

 

プレッシャーの多さが離職率に繋がる。お客様から期日を迫られる、怒られる、恥をかく役目の人は離職率が高い。仕事量が多くても、それをこなすだけなら苦ではない。しかし、それが終わらないことで怒られたり、せかされたりすることが苦痛である。マネジメントはそこを理解するべき。

 

仕事ができる人よりも、その人のおかげで仕事に対するモチベーションが上がるという人が価値がある。シンプルに言えば、リスペクトできる人。リスペクトできない人は、いいものを相殺してしまい、さらに、周りに対して悪影響を及ぼす。

 

王道はなかなか刺さらない。より具体的で自分を投影できるものが必要である。最終的にはよりシンプルでより本質的である、つまり、王道に行き着くわけであるが、最初からそこには行きつかない。トイレ掃除をすると業績が上がるというのも、成功者だからわかる本質的なことがあって、いきなりそれを説いても難しい。とき続けるよりも、マンガ日本史から始めるように、近づき易いアプローチで近づかせる、もっといえば、最初は背中を押して上げて、あとは自走する中で自ら本質を求めていくようなアプローチがいいように思う。

 

採用は原則全員参加で行っている。やっぱり、一緒に働く人が「この人と働きたい!」という感じで決めるのが一番だと思うから。もちろん、それで雇用した責任をスタッフに押し付けるわけではない。採用された側も一緒に働くスタッフから「一緒に働きたい!」と言ってもらって入ってくるわけなので、それは嬉しいはず。そして、何より、ハワイのスタッフに絶対の自信があるから、そのスタッフに触れてもらえれば、こんな人たちと一緒に働いてみたいと思ってもらえると思う。インタビューの際、ざっくばらんに、ありのままをお伝えするようにしている。そういう部分にも魅力を感じてもらいたいし、魅力を感じてもらえる人に入ってもらいたいし、いいことだけを伝えて入社後のギャップがあってはよくないし。そして、スタッフがどのように言うかも非常に大事で、例えば給料が安いと思っている人が「うちは給料安いですけど」と言ったとする。「うちはブラックですけど」と言ったとする。それをもって、ざっくばらんに、ありのままにというかというとそうではない。大事なことは、あくまでもポジティブであることをベースにするということ。うちは給料安いですけど、うちはブラックですけど、と言って入ってくる人いる?ってことです。つまり、採用する気あるの?ってことです。さらに言うと、給料が低いとか、ブラックというのは、本当にそうなの?本当にそうだとしたら、それは何が原因なの?ということです。貢献度が高い人がいて、高そうではなく、例えば数字として高いという情報をちゃんともっていて、それでその人の給与が低いなら、それは間違いなく低い。ただ、貢献が低いとか、高そうに思っているだけとか、そんな人が低いことをもって、うちは給料が低いと言うのは間違い。そういうことも含めて、ちゃんと自分や会社を分析し、事実をポジティブに伝えていける人達であるという自信があるからこそ、そういうスタッフにふれてもらいたいと思っている。給料が低いのではなく、貢献すれば上がるとか、ブラックではなく、足りないことや大変なこともまだまだあるけど、1つづつ改善しているからとか、ポジティブであれば、採用したいのであれば、自ずとそういう言い方になるはず。自分は、現場のスタッフがOKなら、それでOKにしている。一応、採用決定という前提で、候補者とお話はさせてもらうが、そこで採用を取り消すことはしない。お話する理由は、みんなが既に伝えてくれていることも多いと思うけど、やはりチームの長として、一番パッションをもっているし、一番考えているし、もちろん、そうでないといけないし、だからこそ、自分の言葉で、パッションや考えを伝えたいと思うから。そして、長である自分がこんなパッションをもっていて、こんな考えをもっていて、こんな雰囲気だということを伝えて、既にこちらは採用決定してるけど、逆に、候補者に最終判断の材料にしてもらうということである。

 

議論をする時は断定はダメで、必ず、誰かが違う意見を言いやすいように意見や提案をする必要がある。そして、発案者は、却下されることも受け入れる。ただ、単に却下するのではなく、発案すること自体は素晴らしく、今回は却下だけど、改善の余地があるとか、とにかく優しくないといけない。以前に、さんざん意見を言わされておいて、ニコニコしながら却下と一言言われたことがある。もうこの人は無理と思った。なぜなら優しさが1ミリも感じられなかたっから。そして、議論が進んでも、そもそものところで、いつでもゼロに戻る勇気をもつことや手間を惜しまないことも大事。

 

 

日々改善が必要で、通常、そもそも何かを変えようとする人はそんなに多くない。変えないと思えるようなことはもちろん変えるだろうけど、不自由なくできていることを変えようとは思わない。しかし、もっとよくできる余地はあるはずで、進化をとめてはいけない。ただ、不自由なくできていることを変えようとすると、変えた時のデメリットを並べがちで、どうやったらできるかではなく、できない理由を並べる。年に2,3回あるかないかのことも、たくさんあるものとして、変えない方向の材料にする。変えなければ、遅かれ早かれ誰かによって何かによって変えられる。変えられるくらいなら、主導的に変えたほうがいい。もちろん、何でも変えればいいというわけではない。変えなくていいものもある。ただ、変えて「やっぱり変えないほうがいいって言ったじゃん」というのは、変える過程の試行錯誤でどれだけの学びや得るものがあったかを理解できない人である。とは言え、誰かの負担を強いることであれば、独断で決めるのはよくない。ちゃんと、理解を得て、完全に理解を得られなかったとしても最善を尽くして、やってみない?もしダメだったらまた戻そうよ、という感じで協力を乞う。住民への十分な説明がなされないうちに、住民の負担が増えるようなことがどんどん進んでいってしまうのと同じである。ただし、全員の意見だけで動くのもよくない。民意だけに従って政治をリードするリーダーがいたら恐ろしい。なぜなら、国民は政治のプロではなく、見えるものだけを材料にした感情や、ごく一部の情報だけで物事の正否を結論付けたり、自分の損得だけで判断したり、近視眼的な視点でしか戦略をたてられない。だから、民意を聞いて自分の考えとのギャップを知ったり、自分の考えを客観的に分析したり、民意を味方につけること、つまり、民意の理解を得ることはすごく大事だけど、民意に従うだけではよくない。これを意識する必要がある。

 

できる人とできない人との差は明らか。できる人は速くて正確。できない人は、速くやろうとすると不正確になると主張する。できる人は、問題がおこったりタスクが重なったりするとエンジンがかかる。腕のみせどころと考える。できない人は、タスクをふった人に文句をいったり、自分が起こした問題であっても、その問題を処理しないといけないから他のことができないと平然という。

 

強みを生かすことについて真剣に考える。自ら積極的に手を挙げてくれた人には一任する。その人が助けを乞えば助けてあげるし、質問をされればば答える。で、例えばそれが得意だからと言って自分がやりたいようにやっていては誰もついてきてくれない。だから、得意なことは、総合的に得意になる必要があるし、得意だから、それを極めるために必要なことは学びの一つとして認識することができる。野球が大好きな人にとってはきつい練習も楽しめる。でも、野球が好きじゃない人にとっての練習は苦痛そのもの。また、強くなりたい一心でやってきた元ヤンキーの格闘家は、実力がつくと人間性も変わる。得意を軸にすると色々なことで成長する。ただ、一歩間違えると傲慢になったりするので、そうすると周りが離れていってしまうので、そういうこともいい経験になる。だから、得意なことは一任した方がいい。多数決とかだと何も進まないし、やりもしないのに意見や文句ばかり言う人が出てくる。時には「ちょっと私に任せてもらっていい?」と言って自分のやり方でやってみて、それで「どう?」と言って実際に使ってもらったら喜んでもらえたとか。

 

青空セミナーを企画した。公園の木陰でホワイトボードを立てて、会計セミナーをやる。ビーチチェアとかヨガマット持参で。開催場所:マジックアイランド内の木陰みたいな。会計セミナーを屋外で受けたいという需要はないと思うし、そもそもそんな発想は誰も持たないだろう。だからやる。マジかよ。尖ってるね、みたいな。そんな企画をする会計事務所のセミナーなら受けてみたい。これがプロダクトアウトの発想で、マーケットインの発想をしていたら、普通に会議室でパワーポイントで資料を用意して。。。となる。それが悪いわけではない。でもハワイオフィスはプロダクトアウト追求していきたい。そういう自分達の行動や考え方に対して熱狂的なファンを作っていきたい。マーケットインは万人うけするかもしれないが、必要なのは熱狂。マーケットインは需要を知ってそれを満たすわけだから王道であり効率的である。一方で、プロダクトアウトは、需要を作るらないといけない、というか勝手に生まれるわけだけど、最初から需要が見えない分非効率である。でも、繰り返しではあるが、非効率さの中にこそ価値がある。

 

チームというのは簡単だが難しい。全員が同じ能力をもって、且つ、同じクオリティーで、同じ仕事を、同じ量だけやって、後は何もしないのであれば、全く不公平感がない。もちろん給与の額も同じになる。しかし現実はそうではない。たまたま美味しいお客様の仕事を多くやったかもしれないし、縁の下の力持ち的な人のおかげでその美味しい仕事に専念できたのかもしれない。では、美味しい仕事ばかりしていたら実力がつかないから、今は給与が高いけど、苦労した人が後から報われる、という説明が通用するかと言えば、やはり今の給与が大事だし、後から報われると言われても、それっていつ?ということだし、そこまで在籍しているかどうかもわからない。また、考え方を変えると、美味しい仕事を多くした人は、給与の心配がなく、精神的・物理的にも余裕が生まれ、自主学習に精が出るかもしれない。それは人それぞれで、そう考えると、やはり信頼。チームへの信頼、評価する人への信頼。そして、自分への信頼。それらがなくなると何が起こるかと言えば「比べる」ということがなくなる。人間の一番厄介なところは比較。もちろん、それを反骨精神の糧として。。。というポジティブな捉え方もできるが、基本的にはよくない。一般的にはいい給与でも、社内の誰かより低ければ悔しい。なんであの人より。。。これは仕方がない。大事なことは、チームとしてやるということは、そういうことだと認識すること。マネジメントはきれいな未来を描くが、難しいということ。そして、それを意識するからこそ信頼の大切さを説いて、説くだけで終わらせず、具体的、実務的に説けるところは説く。信頼が大事だという人はたくさんいるけれど、何故大事なのかを入ってきやすいような形でロジックとして落とし込んで説く人は多くない。上述のような説明があって、だから信頼が必要、というふうに説いていかないと、きれいごとを言っている印象を与えるだけで終わってしまう。もっというと、マネジメントのエゴとしか映らないかもしれない。ではなく、ようは「わかってるよ」ということを本当にわかってもらうことが大事で、つまり、「この人、口だけでなく本当に現場のことをわかってるな」と思ってもらえるように説かないといけない。それが信頼の一つだと思う。現場がマネジメントにもつ最大の不満は「わかってない」「見えていない」だと思う。俺がやってることが見えていない、あの人がやってることはパフォーマンスなのにそこだけを見ているとか。こういう状態で信頼が生まれるはずがなく、つまり、チームプレーなんてできるわけがない。そういうことが当たり前であるという前提でチームというものを掲げていかないといけないし、つまり、ものすごく難しいことをするわけであって、でも、ハワイオフィスはその難しいことに挑もうとしている。そして、その大きな対策が採用である。最初から、比較をしないような人を採用すればいいだけの話。でも、実際には難しい。そんな人はなかなかいない。もちろん、ポジションが高かったり、めちゃ高級取りであったり、めちゃ実力があって自分に自信がある人であったり、家庭が裕福などで特に将来への不安がないような人の中にはそういう人もいるだろう。本当に聖人みたいな人も稀にいるかもしれない。ただ、一般的には少ない。じゃあ、どうするかというと、説明である。こうこうこうで、そういうことは常であるけど、ハワイオフィスはこれを目指しているみたいな。そして、その「チーム」という難しく非効率なことが、最終的に効率的で、スタッフも色々な意味で豊になる。ここで、大事なのは、きれいごと、きれいな言葉だけで説明をするのではなく、そうしたほうが給与が上がるという、そういう意味での具体的な豊かさにも言及するまたはそうとらえてもらう必要がある。繰り返すが、会社のトップはここまで落とし込む必要はないと思う。きれいごとで引っ張っていけばいいし、そうでないと、強さが足りない。そういうことは小さくはないけれど、もっと大きなことがある。そういうもっと大きなことがあって、前に進む過程での小さいことだから。なので、マネージャーレベルでは、現実を夢にかえていく役割があると思う。この役割に徹することで、威厳というものが毀損されていくことはある意味仕方がない。つまり、近いということである。遠いとカリスマ性や威厳が保ちやすい。小さいことにこだわらないイメージや、こっちに行くぞ!みたいな。問答無用な感じ。でも、マネージャーはそうはいかない。近いところで、つまり、現実と対峙しながら、夢に導く必要がある。なので、問答無用ではないから、いいことも、また、わるいことも、直接、面等を向かって投げかけられる。つまり、近い、敷居が低いということである。そういう状態から夢に導いていかないといけないので、近さや敷居の低さの中で威厳を保たないといけない。威厳を保たなければいけない理由は、夢に導く時の信頼の源泉になるということ。つまり、頼りになるとか、ついていけば間違いないとか。そして、もう一つは、チーム内の秩序を保つための、何かあった時のための威厳。

 

今、契約時の誓約書を作成しようと考えている。TMの考え方やスタンスを書いて、それを読んでもらって、納得したお客様だけにご契約いただくというもの。別に上から目線だとかそういうことではなく、単に安いからとか、どこでもいいからみたいなお客様を受けたくないからで、それはTMにとっての防御でもある。価値観をいつにしたお客様と長く深い関係を築いていくことが大事。金持ちだとかVIPだとかそんなことは関係ない。とにかくすべてに一貫性がないといけなくて、そういうところにも「らしさ」を徹底する。

 

野球のピッチャーが監督に「あまり打たないバッターの時だけ投げさせてください」なんて言わない。ただ、監督も満塁のピンチに実力のないピッチャーは投げさせない。つまり、監督が投げさせるということは、よくても悪くても、それなりの結果を想定してのことであるから、スタッフはアサインされた仕事は黙ってやる。できませんと言ってしまえる会社であるからこそ、その人のアリカタが問われる。ここを理解すべき。言えない会社がほとんど。一方、会社は、苦し紛れでアサインすると説明がつかなくなる。もちろん、そういうこともあるかもしれない。なんでもかんでも、各スタッフにちょうどいい難易度でちょうどいいボリュームの仕事なんてない。それでも、なるべくそのようにする努力をする。

 

会社だから当たり前という考え方をする人がいる。それは間違えていないが、なんというか、じゃあ、スタッフだから当たり前ということになる。融通を否定するなら裁量を否定する。土曜日にセミナーをする。土曜日にスタッフを働かせるのはおかしい。本当にそうだろうか?働かせるのはよくない。ただ、色々な意図や背景を聞かずに頭ごなしに否定するのは会社だから当たり前という考え方であって、サラリーマン的である。セミナーが好きな人はやればいい。やりたいなら。そして代休をとればいい。とりたいなら。ただ、少なくと会社は代休をとることを強くプッシュしないといけない。シンプルに言えばそれだけのこと。ただ、それだけのことなんだけど、簡単ではない。実力、信頼、マネジメントの姿勢、モチベーションなどが全て揃ってはじめてできることだから。要は全部お任せということ。そして、マネジメントが本当にお任せ、つまり、強制ではないという姿勢を明確に示し、且つ、無言のプレッシャーも1ミリも感じさせないことが大事。単に実力がない人が好きなことを土曜日にやって代休をとるというのとはわけが違う。会社としてはやってもらえれば嬉しい。なぜなら、その人に期待することの一つであるから。ただ、営業時間外だから、もしやりたいなら、また、その人の判断で、代休をとってでも土曜日にやった方がいいと判断すれば。さらに言えば、代休を取ることで、オフィスに不在になる影響なんかも考える。そういう人であるからこそ、すべて自由にということになる。やらなくてはいけないこと、やりたいこと、やったほうがいいこと、やらなくても大丈夫なこと、自分以外への影響、貢献の仕方など、そういうものがわかっていて、会社からも信頼されているし信頼しているという関係性。会社の信頼性は、例えば、やらなければいけないこと、やりたいこと、やったほうがいいことは、例えそれが1ドルの価値しかなかったとしてもやる。一方で、やらなくていいこと、やりたくないこと、やらないほうがいいことは、例えそれが10万ドルの価値があったとしてもやらない。こういう姿勢が大切。それを、1ドルなら土曜日はやらなくていい。10万ドルなら土曜日でもやらなきゃいけない。そんな姿勢がスタッフからの信頼を失う。もちろん、これは極端で、日頃からの信頼関係ができていれば、10万ドルもの話であれば、何かしらの特別な処置がなされると思うが、それが「特別」であるということは、普段は違うということであって、だからこそ普段から信頼関係ができているということである。話を戻すと、こういうことを理解せずに、土曜日に仕事をさせるのはおかしいというのはおかしい。

 

ルールは少ないほうがいい。ルールは、それがないと秩序が保たれないから存在する。仕事中にコーヒーを買いに行ってもいいかどうか。何分以内ならいい。午前中に何回までならいい。そんなくだらないルールでさえ、必要となってしまうことがある。それは信頼がないから。信頼がないからリスペクトもない。リスペクトがないから、いちいち気になる。自分は仕事しているのに、なんであの人だけコーヒーを買いにいけるのか。信頼があれば、いつどこで誰が何をしていようが関係ない。その人がチームにとって最善を常に考えてくれる人という信頼。自身にとっての最善ではない。この一点。さらに言えば、会社は各スタッフにとっての最善を常に考えてくれるという信頼が必要。会社にとっての最善ではない。この2つの信頼があれば、ルールなんて何もいらない。有給休暇とか、残業とか、接待交際費とか。では、どうしたら、その信頼を得られるかと言えば、これは、日々の誠実な行動・言動の積み重ねでしかない。嘘がなかったり、常に一生懸命であったり、他社のことを優先したり。もう1つ大事なのは、やはり仕事なので、実力があったり、仕事ができたりという要素もある程度は必要になる。これは、信頼を寄せる側が聖人であれば必要はないが、やはり凡人であるから、仕事ができない人に対しては、どうしても仕事ができない人として見てします。そうすると、リスペクトが欠けてくる。つまり、凡人の集まりにおける絶対的な信頼の構築というのはほぼ不可能であって、だからこそルールがあり、また、その難題に挑んでいくことは非常に非効率で、ルールでガチガチにして、仕事の範囲などもガチガチにして、トップダウンでやれば効率的なのは間違いない。そういう感じでやれば、感情やモチベーションを挟む余地がなく、つまり、ホットではなくクールだから、たんたんとできる。機械のようにできる。効率という点では、人間が機械にはかなわない。ただ、非効率の中に価値を見出せる、非効率の中で実際に価値を感じられる、そして、非効率を効率に昇華させられるのが人間だと思っていて、非効率が効率に昇華した効率こそが本当に価値がある効率だと思っている。一番いい例が、非効率でつながったチームの離職率が低いとすれば、離職率が低ければ、各スタッフの、チームとしての熟練度が増して、だんだん効率がよくなっていくとか。他にも、非効率な、つまり、ホットなサービスを提供して、お客様との関係性を築いて、何かエラーがあった時に、日頃の関係性がいいから「いいよ、大丈夫だよ」という一言で片付いてします。それも非効率が効率に昇華する一例だと思う。一方で、非効率を求めるところに時間をさけるように、効率的でいいところは徹底的に効率化する。でも、その過程は非効率的であってもしっかりと試行錯誤を重ねるべきであって、そこにも学びや繋がりを強くする要素が含まれている。

 

何かを任せる時は徹底的に任せる。例えば、整理整頓を進んで提案してくれた人には、そのタスクを委ねる。みんなの音頭をとるのも何もかも。聞かれたら答えるし、手伝ってと言われたら手伝う。誰もついてきてくれないかもしれないけど、そういうことも含めて、どうリードしていくか、ついてこないのは、そもそもメリットを感じていないからかもしれないし、日頃の関係性が希薄だからかもしれないし、タイミングとか段取りとかのせいかもしれない。それを上司が出てきてみんなに強要してしまってはいけない。上司が出てくるのもダメだし、強要することもよくない。強要するなら、それを仕事の一つとして考え、それも含めて就業時間内に終わるようなアサインの仕方をしないといけない。でも、そんなことはできない。だからこそ、強要ではなく参加したくなるようにしないといけない。

 

何かを委ねる時に、何を委ねるのかを具体的にして、その人が適任であるのかを冷静に判断する必要がある。例えば、山田さんは税務が得意だから税務のリーダーにしよう!ということにする。ここで、税務が得意と言っても、例えば山田さんがすごく質問しにくい人であったら、人のためにならない。説明が下手な人であっても人のためにならない。このようなことはたくさんあって、例えば会計スタッフは全員お客様とコミュニケーションをできるようにならないといけないかというとそうではなくて、もちろんそれにこしたことはないが、やはりコミュニケーションが得意な人とそうでない人がいて、できるか否かで判断するのであれば事足りるかもしれないが、すべきか否かで言うと、やはりコミュニケーションが得意な人がコミュニケーションを担当するべきで、その方がお客様もハッピーである。一度もお客様の店に行ったことがない担当者と、何かあればサクッとお店に行くような担当者とどちらがいいかと言えば答えは言わずもがなである。なので、適材を適所で使うことはとても重要で、全員同じ仕事、且つ、同じ役目を与えることは得策ではない。

 

ないことには気が付く、あることは当たり前になる。なければ創る。それだけ。作るではなく創ると書く理由は、ないものを生み出す場合もあれば、あるものを改善して新しい価値を生み出す場合もあるから。ないものをあるようにするのは会社の責任と考えるのは、新入社員だけ。少なくともハワイオフィスではそういう意識や志をもっている人を採用したい。そして、既にあることに対しては、つまり、誰かの努力や改善の結果であるわけなので、リスペクトをする。

 

請求とお客様との関係性は非常に難しい。親しくなればなるほど難しい。普段、メールや電話でしかやりとりをしないようなお客様であれば、言いたいことや言うべきことを言える。しかし、頻繁に顔を合わせ、おしゃべりをし、食事に行き・・・となると、やはり特別な関係性が生じる。特にハワイはFace to Faceのコミュニケーションを促進していて、それこそが価値であると考えているので、そういう意味ではお客様との距離が非常に近い。そうすると、何かをしてあげたくなってしまう。柔軟に対応してあげたくなってしまう。もちろん、実力や社内でのポジション的なことや性格的なことも作用する。そのあたりの苦悩の源泉を理解した上で、それを前提に少しでもいい方向にもっていけるようにしよう!と言ってあげることが大事。”それを前提に”と言ってあげることが大事。それがないと、メールでしか対応しない人は楽でいいよね、会社への影響を考えずにストレートに言っちゃえる人は楽でいいよね、というネガティブな発想が出てきてしまう。そうではなく、そうだよね、日頃そういうふうにしてくれているからこそ、やらない人に比べて難しいよね、と理解を伝えてあげる。これはすべてに共通することで、例えば、電話1つとっても、電話が好きな人、電話をすることをまったく苦にしない人、電話が苦手な人、そもそも誰かと話すのが苦手な人、電話でタイムリーに回答をしなきゃいけないことを恐れる人、わからないものはわからないと言えてしまう人、話すよりも書いた方が思いや理解を伝えられる人など、様々であるが、電話が得意であるとか、それなりの知識が既にあって、わからないことをわからないと言ってもおかしくないレベルの人の感覚をそのまま持ち込んでしまうと、事がとまってしまう。そうではなく、それぞれの苦手意識や、その源泉を理解し、それが実力の欠如からくる自信のなさによるものなのか、会話を進めていくことを苦手としているのか、実力とわからないことをわからないと言えない立場とのバランス的なことなのか、そのへんに対する理解を伝えた上で、じゃあ、こうしてみようと一歩進めていく必要がある。

 

「実力」と「わからないことをわからないと言えない立場」のバランスというのは常に存在して、「この人がわからないと言うなら難しいことなんだろう」と思ってもらえるか否かというところがポイントで、自分に一定以上の実力があるという自信をもっている人は、「この人がわからないと言うなら難しいことなんだろう」という感じで、その場が過ぎ去ることが当たり前と考えられる。また、逆に、何の肩書や社歴がない人であれば「この人はわからなくてもしょうがない」という感じで、その場が過ぎ去ることが当たり前と考えられる。しかし、ある程度の肩書や社歴があり、自分に一定以上の実力があるという自信をもてない人は「そんなこともわからないのか」と思われると考えてしまう、または、実際に思われてします。実際がどうであれ、「思われてしまうと考えてしまう」ということもまた自然なことで、よほど神経がずぶとい人でない限り、その恐怖はついて回る。それを「大丈夫!」という一言で送り出してしまうと、プレッシャーに押しつぶされてしまう。そうなると、チャレンジではなくベンチャーになってしまう。チャレンジはどんどんすべきだと思うが、ベンチャーはさせてはいけないと思っている。この打ち合わせ、この参加者なら、ベンチャーではなくチャレンジになるだろう・・・、そんなことを常に考えながら少しづつ自信をつけてもらうことが大事だと思う。

 

がむしゃらさは大事。昭和的、体育会的などと表現されたりもするけど、そういうのを嫌う人は、盲目的にそこに結びつけようとする。労働時間が長ければブラック、タスクが多ければブラック、何か業務外のことをやっている人がいればブラック、みたいな。実際にそういう会社もあると思う。しかし、理論的なキャパと、本来のキャパと、現状のキャパと、メンタル的なキャパとを包括的に考えて、供給側の客観性と思いやり、そして、受け入れ側の自己認識(今、何をしなければいけない段階で、何が自分にあって何が自分に足りないのかなど)、つまり、会社にではなく自身にベクトルが向いている状態であれば、それは決して昭和的、ブラックと言うべきものではない。昭和的とブラックとも違う。昭和=ブラックとされることがあるが、昭和的というのは、あえていうなら令和的とスタイルが違うというだけであって、ブラックを意味するものではない。ブラックは、思いやりも何もなく単に働かせることである。

 

マネジメントはマネジメントという立場だからできること、考えられること、もてることがあるということを認識する必要がある。換言すれば、スタッフからすると、マネジメントなんだから当たり前じゃん、マネジメントだから言えるんだよ、ということである。例えば、仕事ができない人がいる。マネジメントとすれば、それをサポートしてあげてという。しかし、実際にサポートする人は大変。そんなことである。だから私は、「言うは易しで現場は大変だと思うけど」と一言添えるようにしている。こんなにたくさんの仕事をこの給料で・・・、マネジメントは俺と同じ給料で俺と同じだけの仕事しろと言われたらやるのか!と。大事なことは、圧倒的な経験をしてきていること。できない人、わからない人、給料が低い人、低い給料でたくさんの仕事をしている人、その人達と同じ経験をしている人でないと言えないことがある。同じ経験をしたことがないのであれば、「同じ経験をしたことがないからわからないんだけど」と前置きしてから説く。たくさんの給料をもらっている人や将来に不安がない人とそうでない人とでは、考え方がまるで違う。そういう意味で、あがめられてというか、半ばおだてられて気分をよくするようなマネジメントではいけないと思っている。マネジメントは役割の1つであって、偉いわけではない。でも、何か大きな力をもっているかのようにふるまったり、そういう意識で事に当たるとよくない。今でも忘れないのが、五十川さんがご馳走をしてくれた時に「ごちそうさまです」と言ったら、「いやいや、これはみんなのものだから」と申し訳なさそうに言っていた。会社の経費ではあるが、自分のものではないという認識。マネジメントは寄り添うとか、そういう上からではなく、役割という意識が必要。だから、1ミリも高圧的になってはいけないし、1ミリも偉そうにしてはいけない。これが難しい。

 

 

頼んだら真剣にならないといけない。特に上司は、部下に対して、これやってみようと軽く提案をする傾向がある。結果はどうでもよくて、やること自体が成長につながると考えてのことだが、例えば、お父さんが子供にジュースを買ってきてと言う。子供はお父さんに褒めてもらおうと思って、お父さんがジュースを飲みたいんだろうと思って、一生懸命に走って、温くならないように買って来る。で、お父さんが、パソコンをしながら、有り難うとか言って、ジュースを机に置く。これって、子供が一番がっかりするパターンである。依頼する側は本当にやって欲しくて、それをやってもらうと本当に助かるというものでない限り、軽々しく頼んではいけない。お願いする側と受ける側が同じレベルでの真剣度合いでないといけない。受ける側は真剣で、それにプライドをもってやる。それが、実は、結果はどうでもよくてみたいなことが伝わってしまうとめちゃくちゃがっかりする。受けた側は常に主人公の気分になる。

 

面接の際に、仕事はだいたいどれくらいで終わりますか?と聞かれる。これに答えるのは非常に難しい。5時に帰る人もいれば、10時までやる人もいる。家に帰ってからやる人もいれば、家ではいっさいやらない人もいる。仕事が早いから早く帰る人もいれば、仕事が早くて、且つ、たくさんの仕事をしているから遅くまでいる人もいれば、仕事が遅くて遅くまでやっている人もいれば、仕事が遅いけど帰るのは早い人もいる。遅くまでやることが正しいわけではないし、遅くまでやることが間違えているわけではない、遅くまでやって給料をたくさんもらう人もいれば、遅くまでやっても給料をもらえない人もいる。会社として言えることは、その人の実力、仕事の量、価値観、給料、志向、成長、他者への影響などなどを考慮しながら、個人としてチームとしての最適化を図っていかないといけない。遅くまでやっている人がいれば、例えそれが、その人の価値観であったり、それなりの給料を得ていたりしたとしても、遅くまでやらせているととらえる人もいて、周りに悪い影響があると考える人もいる。一方で、そういう人から見ると、早く帰る人は単にもの足りなかったりする。どちらにも言い分や価値観があって、遅い早いにも、色々な拝見があるわけだが、健全であるとか持続可能ということを考えると、早く帰られるようにしていかないといけない。しかも、異なる給料や志向などをすべて満たしながそうしていかないといけない。これは至難の業である。なぜなら、求める人と求めることがアンバランスであることが常であるから。求める権利がある人に限って求めないし、求めるような状況でない人が求めたりする。「健全」という言葉の定義も、求める権利があるのに求めない人に限って広く、求める権利がないのに求める人に限って狭い。それでも、完全実力主義、ダメなら切る、よければ上げる、ジョブディスクリプションを明確にして限定して、それ以外は何も求めず、私語も一切認めず、チームワークも求めず・・・という具合に、体脂肪率1%くらいの経営体質にしていけば、強いものに優しく、弱いものに厳しい、わかりやすい、誰でも納得できる解を提示できる。しかし、ハワイオフィスが目指していることは違う。だからこそ、こういうことを理解してもらうことが大事。理解して、会社を信頼してもらうことが大事。それだけ。進行形の状態も含めて信頼してもらう。それに尽きる。ガウディのザクラダファミリアのように、終わりがないものをつくっている状態自体を作品として、そして、そのつくっている状態に対して批判をする人はいなくて、その作品作りに関わっていることが喜ばしいことだと思えるようなチームがいい。

 

成長は急にやってくる。自分で答えを出さなくてはいけない立場になるタイミングと、知識がある程度ついてくるタイミングと、深く行こうというモチベーションが湧くタイミングが揃った時に急に成長する。感覚としては、何か質問をされた時に正解を見つけてやろう、見つけられるはずだ、そんな気持ちで挑める。そして、ちゃんと理解しようとする。なぜなら、それを下の人に説明しないいけないから。そうそう。自分のためでなく、人のために理解をしなければいけない状況になると成長する。人のためだから、かえって本気になるし、頼られている自負があるから、それが根拠のない自信というか余裕に繋がる。そうすると、俯瞰ができたり、深掘りができる。そういう意味では、上に立つことが手っ取り早く、上に立つだけでなく、同時に、頼られることが大事である。

 

地頭のいい人と同じやり方をしても効率が悪い。自分が頭がいいのか普通なのかを分析する。頭がよくないのに頭がいいと分析してしまう人は、その時点でセンスがないから成長が遅い。仕事はセンス。学びもセンス。センスを高めることを常に意識しないと駄目。センスは多くの経験から育まれる。しかし、センスを意識しなければ何回やっても同じ。自分を分析すること、そして、汗ではなくセンスで解決することを意識すること。地頭のいい人と同じやり方をしても駄目だと認識できること自体センス。正解を考えるのではなく、アプローチや目的を考える時間を作ることがセンス。繰り返すが、センスは多くの経験によって育まれる。

 

成長するためには、アウトプットをして、色々な意味でその反応を得て、少し後から当時の自分の現在地を確認する。

 

ハワイオフィスは、ケーキを買ったり、時間的な融通が効いたり、忙しい時もあるけどゆるい日もあるし、嫌な上司もいないし、ノルマもないし、貢献すれば給料もそこそこいいし、一生懸命教えてくれるし、年末年始もしっかり休むし。。。でも、聞こえてくるのは、あれがない、給料がない、教えてくれない、離職率が高い。。。人間はそんなもので、あるものは当たり前で、ないものに目がいく。何故か。それは与えられている立場だから。なので、与える立場にならないといけない。

 

離職率が高いという人がいる。具体的にたどってみた。

 

れいこさん >>> 給与がいいところ

藤原さん >>> 通用しなかった

みずえさん >>> 出産

池谷さん >>> 俺が帰国したから

あかねちゃん >>> インターン

めいさん >>> 給与がいいところ

ゆうこさん >>> 帰国

あきこさん >>> ✖️

ふみえさん >>> 解雇

あゆみさん >>> 喧嘩

えりこさん >>> 帰国

まりこさん >>> 通用しなかった

えりさん >>> 税金の壁

ひろみさん >>> 自宅で仕事したい

ようこさん >>> 給与がいいところ

 

会社が完璧だったらやめる人はいない。パートでもリモートでもなんでも受け入れるし。楽で給与もめちゃよくて。なので、如何なる理由があろうとも、辞めるということは会社に何らかの非があると思っている。そこを忘れてはいけない。会社は辞めた人のせいにする傾向がある。

 

数字の背景を知る必要がある。生産性が上がったのは、単純に強引な値上げをしたからかもしれない。帰宅時間が早まったのは、誰かが被っていて、その人が被っていることを見せないからかもしれない。離職率が低いのは、負担や怒ろられる役目が誰かに集中しているからかもしれない、売上が伸びているのは、お客様と会わずにふられた仕事をひたすらこなしているだけだからかもしれない。常に数字の背景を見ないと、表面的な結果にコントロールされてしまう。

 

数字を発表して喜ぶのは成績がいい人だけ。数字が悪い人の気持ちを考えないといけない。数字にあらわれない仕事をしている人もいる。たまたま数字につながりにくいお客様を担当しているかもしれない。チームというならば、個人を出すべきではないし、また、条件が同じでないならば、チームごとの売上とかも出すべきではない。まったく意味がない。

 

ディスカッションはとても大事。一見どうでもいいようなことでも「どうでもいいじゃん」と感情むき出しにしたりせずに話し合うことが大事。やけくそになるのは最大の圧。断言するのも圧。意見がまとまらない時に、そこからどこまで最善を尽くせるかがポイント。最後はトップダウンでもいい。でも、その前に、妥協点を見つけるなりして、うまく収めることを目指す。冷静に客観的に、配慮を忘れず、下がることを恐れず。

 

何かを購入する時に、会社なんだから買って当然とか思わない。必要なものは買うべき。ただ、本当に必要なのかしっかり検討するべき。会社といっても、大企業もあれば零細企業もある。当たり前の基準が違う。100ドルの利益を残すことがどれほど大変なことかを理解する必要がある。失敗してペナルティーを払うのは仕方ない。でも、本当に申し訳ないと思うべき。ペナルティー払っておいていいっすか?というのはダメ。100ドルの利益を残すことがどれほど大変なことかを理解する必要がある。

 

関係性を築く際に、何かを犠牲にし過ぎるのはよくない。負いすぎるということ。解決しているのに「念のため結果をご報告します」というのは誠実ではある。ただ、言ったからには報告する必要があり、そういうものを負えば負うほど、自爆する確率が高まる。誠実さの演出が意図通りになればいいが、それが、関係性がアンバランスな御用聞きのようになってしまうと負いきれなくなる。丁寧であることと、自らエクストラを課してしまうことは別である。丁寧な印象で終わらせることができるやりとりなのに、エクストラな演出をすることで、無料だといらないものでもとりあえず。。。というのと同じで、何気ない意識で何気ないリクエストをされてしまう。でも、こちらとしては回答をしなければいけないことであり、調べたりもしないといけないかもしれない。そうやって、自分で負ったり、何気なく負うように自分でもっていってしまったりする。

 

努力にはお金は払えないけど、努力をすれば、タイミングや多少の違いがあれど、結果が出て、お金をもらえるようになると思う。努力をしなくてももらえる人もいれば、努力をしてももらえない人もいるかもしれない。ただ、努力をしないともらえない人が努力をしなかったら絶対にもらえない。夜遅くまでやっている人がもらえるのは、努力に対してもらっているわけではなく、努力によって生み出した結果に対してもらっている。だから、努力をしなくても同じ結果を出す人がいれば、それはそれでもらえる。なので、努力をしないと結果を残せない人で、且つ、もらいたい人は、遅くまでやるしかないよねということ。でも、ガムシャラに努力をしている人は応援のしがいがある。

 

時間も欲しいし、成長もしたいし、給与も欲しいし、好きなこともやりたいし、自由な時間も欲しい。それを叶えるためには実力をつける以外にない。鶏が先か卵が先かになってしまうけど、実力がないから時間がないのか、時間がないから実力がつかないのか、少なくとも、スタッフは前者にフォーカスするべき。そして、会社は後者に意識を向けるべき。

 

1人よりも2人、1つよりも2つ、1時間より2時間のほうがベターである。「必要だから」「会社なんだから」そういう単純な発想で決めることはできない。無駄なものには1ドルでも使いたくないし、必要なものであれば1万ドルでも使う。だからと言って、1万ドル使えるかどうかはその時の財政状態や、回収の見込みとの相談も必要。ケチなわけではない。1ドルを稼ぐことって大変なんだよということを知って欲しい。そして、「必要だから」「会社なんだから」という人は、投資を回収することにコミットして欲しい。覚悟をもって発言して欲しい。余裕がある企業であれば、1時間でも2時間でも3時間でも、時間をかけてトレーニングできるかもしれない。しかし、零細企業はそうはいかない。そんなこと言ってるからスタッフが辞めていくんだと言われれば、そうかもしれない。ただ、多くはそういう段階を経て大きくなっていく。その段階ではそういう状況を乗り越えることができるスタッフが必要。辞めるスタッフは、その段階にあっていなかったということ。スタッフが悪いわけではない。会社が悪いわけでもない。会社は悪くないけど、少しづつでも改善していく必要がある。一気には難しい。

 

教えるのは当たり前。教え方や育て方は人それぞれですが、常にウェルカムな姿勢で、且つ、情熱をもって、どうやったら理解、そして成長するかを考えて対応しましょう。一方、教えてもらう側は教えてくれることを当たり前だと思わないように。常にわからない自分が悪いというスタンスでいてください。「教えてくれないのが悪い」「忙しいから後で教えてください」という発想にならないように。そして、一度教わったことは二度聞かないように努力すること。またあとで教えてもらえばいいやと考えないこと。メモをとるなり動画でとるなり。人の時間をリスペクトすること。教えてくれたことに感謝せず、教えてもらえていないことだけに不満を言うのはナンセンス。

 

何かをオントップでお願いすることはありません。その人の能力を引き出すために、やってみてはどうかと提案することはあります。やりたい人や手を挙げた人がやってくれるのがベストだと思っています。そして、とても有り難く思っています。ただ、それは常にエクストラになります。これをやるからあれはできないという類のものではありません。また、これをやったからいくらというものでもありません(これは一つの努力なので、結果につながると思います)。どうしてもやって欲しいことは一つの業務としてお願いをするので、それは一つのタスクとして考慮します。インタビューもそうだし、みんなで色々とディスカッションしてもらっていることもそうです。みんなでやってみてはどうかという提案です。やってみたほうがみんなにとっていいんじゃないのかなという思いからの提案です。なので、シンプルにエクストラだし、それに対してお金が発生することはないし、だから拒否することができます。そもそも青春は非効率です。その先の真の効率を目指しています。それはハワイオフィスとしての考え方で、他の会社であれば、リモートワークで、エクストラもなく、私語もなく、結果を求められ、成果に応じて給与が支払われ、成果が出なければきられる。